◆明治日本の産業革命遺産とは
筆者は、現在の所属組織において、世界文化遺産『明治日本の産業革命遺産』の展示広報施設の運営及び人材育成等の取組みに従事している。
世界遺産は地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれ、私たちが未来の世代に引き継いでいくべき、かけがえのない宝物である。
世界には1248の世界遺産があり、日本には26の世界遺産がある。一例として姫路城、厳島神社、知床、富士山等があり、中にはル・コルビジェの建築作品のように国をまたいだ世界遺産もある。
明治日本の産業革命遺産は、23の構成資産全体で1つの世界遺産としての価値を有しており、北は岩手県釜石市、南は鹿児島市まで、8県11市に分布する遺産群である。また、今なお産業活動に従事する稼働資産が含まれている。構成資産に稼働資産が含まれる世界遺産は日本初であり、それらは今なお稼働している。

明治日本の産業革命遺産のストーリーは、黒船の来航により急激に高まった国防意識に始まり、蘭学書を参考にした試行錯誤の挑戦として進められた。大砲をつくるための製鉄の営みは、佐賀藩に始まり、全国に広まっていく。開国後、西洋から導入した技術導入が進み、その後の応用と実践により、国内の人材も育ち、産業基盤が確立した。僅か半世紀余りで重工業が急速な発展を遂げ、封建社会から近代産業国家へと急速に変化した牽引力は、欧米列強による植民地化への危機感であった。
◆産業革命遺産と公民連携のストーリー
幕末から明治は、幕府、地方雄藩、新政府が産業基盤づくりを主導した時代であった。官が「殖産興業」のビジョンをつくり、集中的に資源を投入し産業拠点を開発した。その後民間が知恵を出して経営効率化を実現していった。これらはまさに公民連携そのものであったと筆者は考える。例えば、高島炭坑は、1968年に佐賀藩とトーマスグラバーが共同出資で開発したものが後藤象二郎に引き継がれ、その後、民間の三菱財閥(岩崎弥太郎)に権益譲渡された。三菱は採炭技術の近代化と経営改革を進め、1986年の閉山まで操業を続けた。
筆者が好きな言葉に、P.ドラッカー氏の日本の近代化は「日本の西洋化ではなく、西洋を日本化したもの」との洞察(島津公保氏が引用)がある。明治日本の産業革命は、西洋からの技術移転が進み、日本固有の技術・文化・人材と交じり合い独自の発展を遂げたことが特徴であり、その過程で数多くの公民連携が進められたと筆者は捉えている。
◆今後に向けた産業革命遺産の未来志向型の取組み
産業革命遺産は「視覚」のみではダイレクトに価値が伝わらない点が弱みであり、そもそも産業遺産のある地域に住む住民の方々が、その価値や内容を知らないことも多い。そして、国・地方自治体等の財政状況悪化により、保全費用の捻出は一層厳しくなってくることが懸念される。
一方で、産業遺産がつくられた背景や「ストーリー」を理解することは、現代の我々にとっても重要だと筆者は考えている。なぜならば、産業遺産は地域と産業を創ってきたストーリーと人々の営みに満ち溢れた多種多様な情報を有しており、そのストーリーは我々の未来への取組みに有用な示唆を与えてくれるからである。次なる5年/10年を見据えながら「未来志向型での取組み」を推し進めていきたい。
※本稿は2026年1月11日に開催された東洋大学PPP同窓会行事における講演録(要旨)です。
遠藤健 氏
2008年東洋大学大学院経済学研究科公民連携専攻修了
東洋大学国際PPP研究所リサーチパートナー 修士(経済学)

